雑言 NO.1347

 

先々週の土曜日23日は祝日でした。私たちは定休日以外の祝日も休まず営業しているので、あまり旗日を気にすることはありません。朝、店に行く道すがらいつもより車が少ないなぁと思ったら旗日だった、ということさえある。でも、この23日は旗日のおかげでトラブルが起きました。トラック便が止まってしまったのです。個人宅に配送する宅配便ではなくて、商品や製品を運ぶ物流便のこと。

いつもであれば祝日の前日の発送は受け、祝日当日の発送は受けないというルールだったのですが、今回は前日も止めてしまった。働き方改革で無駄な休日便を止めたらしい。いつも通りに動くと思って出荷を依頼したので途中で止まってしまい、土曜着の野菜や生ものが届かなかった。月曜の朝には着くというので、定休日だというのにのこのこ出て行って生ものを冷蔵庫にしまうことになりました。

トラックのドライバーは長時間労働で休みの少ない真っ黒けの職種ですから、こんな時は休んだ方が良いと思うけど、前もって知らせてくれないともっと休みの少ない商店主は困ってしまいます。私たちは自営業ですから、過労死したってバカなヤツと言われるだけで誰からも咎められない。自分の仕事を自分を使ってやっているわけですから、仕事が暮らしで暮らしの中に仕事があるような毎日です。

私たちは店と自宅が違うまちにあり20分ほどかけて通っているので、職住一体ではなく職住近接でもなく、職住ほどよく離れていて快適です。開店して2年店の2階に住んでいましたので、仕事にけりをつけて家に入っても、やり残したことがムズムズと気になって晩ごはんを食べてからまた店に戻ったり、近所の人が家まで押しかけてきてモノを売ったりしてました。悪い意味での職住一体ですね。

今は気になることがあっても心理的にあきらめがつく距離があります。ストーブの電源を切ったか不安になることがあっても、大丈夫!と自分を言い聞かせるだけのハードルになる。加えて20分という時間的距離は、走りながらモノゴトを考えるのにちょうど良い長さでもある。車にオーディオがあるとガンガン聞きながら走るけど、今のミニマルな車ではじっと自分を見つめる良い時間になります。

私たちの仕事は毎日の暮らしに関わることなので、仕事と暮らしに境目がなくてもまだやりやすい。家で食べているごはんを紹介するところから「八百屋の食卓」が始まったのだし、商品を試すのも毎日の暮らしの中でできるのですから。暮らしの中に仕事があるというのは、ある意味で理想的なのかもしれません。でも、その関係が逆転しないようにうまくコントロールするのは、なかなか難しい。

店の仕事は、やり始めると際限なくあります。あれもやりたい、これもやらなきゃ、とやり続けるといつの間にか仕事の中に暮らしが埋没してしまいます。仕事をやり続けるために暮らしを最低限に抑え込まなくてはならなくなる。困ったことに体力だけは恵まれているので、この齢になっても多少の無理でもカラダは壊れない。見えていることはすべてやろうとするものだからいつも時間が足りない。

「八百屋の食卓」がメインに据える夕食をみんなで食べる「食卓」の回数が増えてくると、仕事と暮らしのバランスが逆転して、暮らしの中から生まれてきた仕事に暮らしを奪われることになりかねない。いつの間にか仕事の中で暮らさざるを得なくなる前に、暮らしの中で仕事が続けられる健全なバランスを心がけないといけません。そのために何が必要なのか、店に通う車の中で毎日考えています。