八百屋、畑を行く。
vol.1 吉沢農園(長野県・飯田市)
CAMBIOの店先にはいつも、新鮮な野菜たちが並んでいて、
訪れる人を季節の色で、香りで、出迎えてくれる。
ピチピチッ、と音がしそうなそれらは、「できる限り地域の有機野菜を」と
一軒ずつ取引を広げていった生産者たちによるものだ。
今も鈴木さんは、時間をみつけては、彼らの畑を訪れている。
物流が発達し、いくらでも輸送手段はある今だけれど、
今日も鈴木さんは野菜が育つ場所を見て、作り手と言葉を交わし、
“商品”だけじゃないいろんなものを、せっせと店に運び込んでいる。
この日、向かったのは、長野県飯田市の吉沢農園。
「今期はビーツ、どうよ?」
「もう、草の中だよ(笑)」
そんな風に会話しながら進む、鈴木さんの足取りが慣れているのも納得。
二人はもう30年来、家族ぐるみの付き合いなのだとか。
二人が最初に出会ったのは、勤務先であった東京の自然食品会社でのこと。
吉沢さんは記憶をたどりながら、少しずつ当時を紐解いていく。
「1978年ごろかな。当時、環境問題が大きく取りざたされて、周囲でも疑問をもつ人が多くて。自分もこういう田舎で育ってきたから、東京の川があまりに汚いとか、光化学スモックで隣の駅が見えないとかっていう状況に、『何か違うよな』って、感じていたんです。真面目だね(笑)。
せめて洗剤だけでも合成のものはやめよう、って、ある石けん洗剤に出合ったことをきっかけに、気づいたら自然食品の流通会社で働いていて、そこで、鈴木に出会ったの。でも、いつか飯田に帰って農業をやろうというのは、環境について考え始めたころから思っていたことだったんだよね」
吉沢さんは故郷である南信州に戻り、手探りで有機農業をはじめたのが1989年。吉沢さんの畑が少しずつ軌道に乗り始めたころ、CAMBIOがオープンした。同じ有機野菜を販売していた二人は、有機農業の実践者と、その野菜を地域で販売する八百屋として、後の年月をすごしてきたのだった。
南信州ではじめてJAS有機を取得した吉沢さんは、今や地域の有機農業者のリーダー的存在となり、新規就農を希望する若手生産者も多数輩出。彼らの野菜たちもまた、現在CAMBIOで販売されているという。
「今日は大根、積んで帰っていいんだよね」
日暮れも近づき、鈴木さんがそう話すと、息子の玄大さんが手早く箱詰めをしてくれた。2年前に後継者として東京から帰ってきた玄大さん。彼もまた、父から栽培の手ほどきを受けつつ、新たな有機野菜の販売方法も模索中だと話す。山懐に抱かれるようにしてあるこの場所で、新しい世代、新しい思いがまた、芽吹こうとしている。
「よっちゃん(吉沢さん)の畑はみんなそれぞれで、小学校の子どもたちが並んでるみたいだよね。草も生えない畑で育つのか、虫もたまには悪さをする野菜を愛おしいと思うのか。その原点を忘れないためにも、こうやって僕は、足を運ばせてもらうんです」(鈴木さん)
written /トビラ舎・玉木 美企子
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