松本で「街と土」というイベントがあり、いくつかの商品を携えて出店してきました。いつもタコ壺のような店にこもってばかりで、イベントに出店することなど記憶を遡ってみたら5年ぶり。午後から始まったマルシェが、夕方になり日が暮れても続々と歩いたり自転車に乗ったお客さんがやってきます。いつも歩く人が極めて少ない街で商売をやっているので、まずは人の多さに驚いたのでした。
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出店していたのは松本や安曇野周辺の有機農家と料理人。それぞれが一組になって、農家の野菜を使った料理を同じテーブルで販売するという趣向。そこに八百屋というポジションは場違いのようにみえますが、実は同じコンセプト。彼らの「この街の近くの土のことは、この街で買い支える」というコンセプトは、「村の野菜を街で交易する」というわが店の古いコンセプトとほぼ同じだったのです。
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「街と土」を企画したKさんは私たちの長男と同い年で、ひと世代違う彼らが同じような思いで暮らしと畑をつなげようとしていることに感慨を覚えました。実は数か月前からNさんというやはり私たちの娘世代の女性が、八百屋の仕事を知るために日曜日に研修に来ていました。今回の出店も彼女がKさんに提案してくれたことです。親子の歳の差はあるけれど、同じことを考えていたわけでした。
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この数年は自分が続けてきた八百屋の仕事が、大きな転機にあることを感じていました。有機農家は入植者を中心にどんどん増えつつあり、有機野菜や農業体験を求める人も増えています。でも、その中間に立つ八百屋の仕事は出番が減りつつある。作る人と直接つながってリアルな関係を築こうとする理由は、私が八百屋を始めようと思った原体験と重なるので理解できる。ではどうしたらいいのか。
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対処のひとつは、世代がひとつ違えば食べものへの向き合い方も変わるのだから、食べものを売るだけではなく食べることもコンテンツに加えて提案するということ。もうひとつは、自分たちが蓄えてきた八百屋という仕事の蘊蓄を、野菜や自然との向き合い方という形にリフォームして提案することでした。ところが、ひと回り下の世代が同じようなことを考えて、街と畑をつなげようとしている。
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そうか、八百屋という仕事もまだ捨てたものではないのだな、と彼らのおかげで見方が変ってきました。自分で育てた野菜を売るのではなく、全国からやってくるさまざまな野菜をその季節に応じた管理をしてお客さんに届けるという仕事は、決して時代遅れのコンテンツではないのかもしれない。世代交代になって店を閉じる仲間もいるけれど、八百屋は次の世代に継承できる仕事なのかもしれない。
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「街と土」に出店している最中に心がけていたのは「ずっとオレはこの仕事を30年もやってきたんだ」という気持ちを捨てることでした。次の世代の彼らと同じ目線でモノを見て語らないと、ただのマウンティングじじいになってしまう。自分の経験と彼らの感覚にどれだけの差異があるか、いろいろな会話を聞きながら探っていました。トークタイムでマイクが回ってきて少しだけ喋りましたけど。
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結果として、自分が大事にしようとしてきたことと彼らがこれからやろうとしていることに、それほどの差異は見つけられませんでした。それはなかなかの希望として自分の胸に灯りました。八百屋という仕事はまだ次の世代にも通用する。ただし、まったく同じやり方を続けていたらダメでしょう。そこをどう変えてアピールしていくのか。歳は巻き戻せないけれど、やれそうな気がしたのでした。