雑言 NO.1349

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旅立ちの枕元には「ECHO」という安タバコが供えられていました。かつては私が「わかば」だったので、店の裏でふたりとも安タバコを燻らせながら話をしたものでした。私がさっさとやめてしまうと「軟弱者め」となじられたことを覚えています。病気になって医者から何度もやめるように勧められても頑としてやめなかった。何を言われても最後まで自分の信念を変えなかったのは見事でした。

数年前には何を思ったか、万が一の際でも延命措置をしないでほしい、と書き残していたそうです。実際に最期を迎えた際も、酸素マスクを自ら拒否したそうです。タバコが信念か?と思う方もいるでしょうが、自分のカラダのことは自分で決めるという強い意志のひとつとして、最後の日までタバコを吸い続けたのです。家族も彼が自分を貫いたことを、立派だったと認めざるを得ない最期でした。

開店時から野菜を出荷してくれた、南箕輪村の河崎宏和さんが亡くなりました。2年ほど前に病気が見つかり療養していましたが、あえなく逝ってしまいました。残念です。お互いが同い年で子どもたちもみんな同学年でしたし、山がきっかけで信州にやってきたことなど共通することが多いだけに、どこか気の置けない同志のような存在でした。つい先月も電話で話し、うどんを依頼したんですけど。

付き合いだした最初の頃は、彼が持ってくる野菜がどれもこれも大ぶりなのが不満でした。量り売りの土物は大きくなれば単価が高くなって売りにくいし、畑に置きすぎて収穫期を逸して大きくなったのだろうと思ったのです。ところが、ふつうは大きくなればスが入ってしまう人参やごぼうでも、みっちりと芯まで詰まっている。菜っ葉でも筋っぽくない。大きいけれど品質がきちんと保たれている。

口の悪い八百屋が「なんでもデカくすりゃいいってもんじゃねーだろ!人参が赤い大根じゃねーか!」と罵ると、「そんなこと言うたかて、大きくなってしまうんや」と、京都生まれの関西弁で返してくるのでした。何年かすると野菜が大きくなる理由がわかってきました。それだけ土が肥えていたのです。規格通りに野菜が育たないのは、効率や収量で野菜を育てていないことが分かったのです。

ひと箱10㎏の人参を何十箱作って出荷するという営農ではなく、消費者に直接、あるいは飲食店や小さな八百屋に毎週必要なだけを届けるというスタイルだから、大きさを揃えることより大きくて質の良い野菜をその時に必要なだけ収穫すればよい。効率よりも品質を重視するから土に無理をさせないんでしょう。少量多品種で畑を回しながら、周りの生き物と共生しつつ野菜を育てていたのです。

そんな彼の畑を若い農家と一緒に訪ねて、勉強会をさせてもらったこともありました。でも、具体的な方法があってそれを言葉にして伝えてくれるわけではない。傍で聞いていて、これは農業というよりも生き方を仕事にしたものなのだ、と感じました。それを言葉に直したって簡単には伝わらない。河崎という人間を理解しなければ、なぜこの畑でデカいくせに柔らかい人参が育つのかはわからない。

最後の秋となった先月は、家族と信州のあちこちに出かけたようです。本来なら自分だけで自分が見つけたキノコのシロを見に行きたかったことでしょう。よく育った長芋を掘りながら「まるで500円玉が地面から出てくるようなもんや」と喜びに浸りたかったに違いありません。それでも最後まで自分の好きなタバコを吸って、嫌なことは嫌だと言い放って見事に自分を貫いた男でした。立派だよ。

枕元で別れを告げた後で家の前に広がる畑に出てみました。一角には冬越しをする玉ねぎが植わっていて、いちごもひと畝残されていました。畝間には真新しいトラクターのタイヤ跡と足跡が残され、直前まで手を入れていた様子がうかがわれました。覚悟はできていたとはいえ、いきなり終わりが訪れるとは思っていなかった無念な顔が目に浮かび、落涙しました。ありがとう、さよなら。