雑言 NO.1351

きな臭い新年ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。正月はフラフラと知らない街を歩いてきました。まずは丹波の篠山へ。お城の石組みを眺めながら、昔の人たちの知恵や技にいつもながら感心するのでした。今は石組みなど訳なくできるのですが、400年後に残るのかと考えると心もとない。コンクリートはわずか数十年で劣化してしまうし、石を組み上げる予算なんてないだろうし。

いま残っているものはそれなりの権力が成しえたもので、その権勢を保つためにどれだけの犠牲があったか知れないけれど、物事を考えるスピードや世の中が変わっていくスピードと、ハードであれソフトであれ人間が作り上げるものの寿命は、相関性があるような気がする。プリンタで打ち出される文字は無機質だけれど、細筆で流れるように書かれた文字はいまも美しくて思わず目が奪われるし。

篠山から丹波の山々を駆け抜けて海辺に出て、舞鶴で一夜を過ごしました。軍港として栄えた海軍の街。赤煉瓦の倉庫が観光施設として残されているけれど、中は土産物店とお決まりの歴史展示で、その存在以上に生かされているとは思えなくて残念。海軍と同じように過去になろうとしている街中のアーケード街が、明治から昭和までの上り坂と、平成から令和への下り坂を象徴しているようだった。

原発銀座を駆け抜けて小浜へ。いま話題の原発マフィア助役がいた町役場は、東京のオフィス街のビルのようでやっぱり場違いですな。小浜は昔から関西の食べもの供給地として栄えた街。古くは塩の道、やがて鯖街道となり、北前船で北の海産物が運ばれてきた食べものの街。魚が美味しい街。刺身は工夫のしようもないけれど、煮たり焼いたり酢にしたりその土地の食べ方をいろいろ楽しみました。

北前船がもたらした冨のおかげで街中には花街が栄え、今も残る茶屋の建物をゆっくり見学しました。地元の方の案内が詳しくて、細工や調度のすごさを知ることができた。公開された歴史建造物にはだいたいその歴史が大好きな人がいるので、案内を頼むと数倍楽しめるのです。江戸期の建物が茶屋として昭和の初めまで改修されつつ栄えてきた経緯、使われてきた材や残された数々の書や屏風の由来。

何よりも普通の見方では気付かない障子の桟がすべて丸く面取りされているところや、一枚ずつ職人が貼っていった美しいタイルの文様など、明治の人たちが微に入り細に渡って手をかけた細工の技を、黙って通り過ぎればわからないところまで見ることができる。ゆらゆらと外が揺らいで見える明治のガラスにはよく見ると気泡が入っていたり、畳一枚分の大きなガラスなら家一軒分の値段がしたとか。

古道具市を主催したり、リノベデザインで2階を仕上げたり、私は古いものに愛着を感じてきました。年月を経て使われ続けて磨かれたものには、自分たちでは作ることができない存在感があります。民家で使われてきた古道具と贅を尽くした茶屋の設えではそもそもの価値が違いますが、人の手で作られて使われてきたものであることは同じ。どこが魅力なのかと言えばやはりそこなのだと思うのです。

食べものと古い街並みや古道具には共通点があります。自然が生んだ材料を人の手が、その時代にある道具を使って拵えてきた部分。建造物には男の知恵ばかりですが、食べものには女の知恵も多分に生かされている。力を必要とする知恵と感覚を必要とする知恵。さまざまなテクノロジーが人間の手を補うようになっても超えられない部分が残っていて、それが食べる部分だと思うのです。