雑言 NO.1352

「八百屋の食卓」早くも一周年です。って「まだ始まったばっかりだろうが!」と呆れられそうですが、実はアイデアが吹き上がったのが1月最初の金曜日だったので、自分の中ではもう始まって一周年。おめでたいおツムです。これだ!行け!と思ったのは、大きなテーブルでみんなが一緒にごはんを食べるシーンが頭の中に描かれた時。一年後の今は実現したのですから、何ともうれしいことです。

自分で目標を設定して突っ走ったのですから、しんどかったけど幸福な一年でした。最近になって「そのトシになってどうしてそんなエネルギーが残っているのか」と訊かれることが増えましたが、何のことはなくて単なる危機感です。「このままではヤバい」と思ったので、次につながることをやろうと思っただけ。ふつうはもうやることをやり切って、隠居生活を楽しみにするトシなんでしょうけど。

人間が感じる達成感とは、苦労を乗り越えて得られるもののようです。私の場合、ずっと自分の好きなことばかりを目指してきたので、今に至るまであまり苦しんで何かを成しえたという経験がありません。だから今になってもノーテンキだし、擦り切れてもう疲れてしまったという感覚がまったくない。言い換えると、苦労をして乗り越えた達成感というものがない。だからまだやり続けているだけ。

数年前には、同学年の人たちが定年で再雇用や次のステージを迎える一方で、自分には退職金はなく十分な額の年金もなくましてや貯金などあるわけもなく、不安に苛まれたこともありました。でも、振り返ってみれば好きなことをやってきた結果であり、これからも好きなことを他人に振り回されることなくやり続けられる余地が残っているわけで、恵まれた境遇なのだと考え直すことにしました。

もうゴールにたどり着いたと思えば休むことを考えますが、まだやり続けなければ生きていけないという危機感は次の時代を考える源になります。この仕事はもう終わりではなく次の世代にも通用すると気づくと、どうやったら次の時代にこの仕事がもっと面白くなるのだろうかと考え始める。続けてきたイベントの行き詰まりや、成しえなかったことを内省しつつ考えていくと、噴いた!のでした。

今は時代の大きな転換期にあると思うのですが、その転換のスピードが極めて遅いのは、ひとえにゴールを目前にした人たちが自分たちの経験知で物事を判断していることにあると思います。今までの延長線上に将来があると思ってしまう。自分の好みの車を所有することにステータスを感じてきた人が、車は所有されずに移動する手段として利用するだけになる世界をなかなか想像できないように。

思えば私たち小売りの世界には、この30年でインターネットの登場という大きな転換期がありました。商店街が大手資本のスーパーに駆逐されたことは、同じ地域の地面の上で起きたことでしたが、ネットの登場は新たな見えない世界が生まれたようなもので、モノを買う動きは商店街とスーパーの戦いよりも激しく変わりました。それを乗り越えたことは、次の時代を迎える大きな自信になります。

私たちが転換期にあって常に考えていたことは、変わることは何か、変えていけないことは何か、ということでした。そのポイントを押さえておけば自分たちがやれることは見えてくる。私たちがテーマにしてきた「自然とともに暮らす」ことはネットの大波でも壊れないはず、と考えて店を続けてきました。捨てざるを得なかったものも多いけれど、本質は動かし難いほど根が深いことが救いでした。