新型肺炎が大変な騒ぎになっています。目に見えないほど小さなものが原因なのですから、情報でしか知ることができません。だからいろんな人がいろんな想像で恐れているわけで、実に現代的なクライシスです。何でも検索で知ることができるようになっただけに、まだ実態がよくわからないってのが怖いんでしょうね。毎日新たな情報が積み重なっていく今は、SFの世界のようでちょっと面白い。
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メディアから流れてくるニュースを読んでいると、どれもワカラナイという素材に出てきた数字をトッピングして皿に盛っただけ。人間がどこにも移動せずに誰とも会わずに暮らせるわけがないので、何がどうなるかはワカラナイのです。おまけに責任がある人たちは自分の都合のいいように情報を流すし、メディアの中には正確さより読まれる数を目的にするところもあるから、またワカラナくなる。
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そんな目に見えないウィルスが起こす肺炎とは別に、自分たちがやっていることをメディアにニュースとして伝えてもらう宣伝方法を、パブリシティといいます。広告ではなく、記事として流してもらえるので効果が高いのですが、記事にしてもらえる内容が伴わないと成り立ちません。だから記者さんたちに、こちらの意図を理解してもらうための文章や記者会見での説明が、大きな意味を持ちます。
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1月は「八百屋の食卓」について新聞各紙との会見を設定し、工事中の段階で書いてくれた1紙を含めて、地元4紙が記事にしてくれて大きな効果を得ました。続いて電波メディアに、賑やかな食卓で「いただきま~す」と食べ始めるシーンを用意して取材をお願いしようとしたのですが、立ち止まることにしました。食べる場面だけでは見る人がワカラナイことになりかねない、と思ったからです。
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新聞の記事が掲載されてから、お問い合わせやご来店をいただきながら「今日はやってないの?」とがっかりされることが多くありました。まだ週に1~2日しかイベントは入っていないし、みんなで食べる食卓は予約制だし、ランチは限定15食だったりフツーの飲食店とは違うことが多すぎて複雑怪奇な店です。文字ならいろんな内容を書いてもらえるけど、映像では細かいことまで伝えきれない。
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さらに新聞やテレビを主なニュース源にしている人たちの年齢層は高いので、ご自分の経験をもとにニュースを解釈される場合が多い。キャッチーな映像は効果的だけど、しっかりと伝えられる内容と営業内容が伴わないと、誤解の種をばらまくだけに終わってしまう。映像でのパブリシティに耐えるだけの、わかりやすい文脈やイベント内容を整えてから取材をお願いする方が良い、と判断しました。
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新型肺炎と八百屋の食卓はまったく似ていませんが、よくワカラナイ新しいことであることは同じです。通りいっぺんで伝えようとすると、過去の例を基に判断するしかない。誤解のないよう綿密に練ってからリリースしないと、実際とは違ったイメージをばらまいてしまうことになります。そのために八百屋の食卓とは何なのか、何を目指していてどう提案していくのかを明文化する必要があります。
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先週書いたように、今まではすべてが「タコ壺の秘伝のたれ」から生まれてきたので、ひとりの頭の中でこねくり回していればよかった。でも、これからの体制はいろんな人とチームを組むことで進めて行かなくてはなりません。そのためにどのルートを通ってどのピークを目指すのかを示さなくてはなりません。それがきちんとしていれば、どんな取材に対しても分りやすく対応できるはずなのです。